続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

朝ウォーキングで気づいたこと、思い出したこと

冬、寝込んでいる間に衰えきった体力を取り戻すべく、晴れた朝にウォーキングをするようになって2週間が経ちました。距離にして2km前後、25分程度のことですから、ウォーキングというより散歩といった方がいいかもしれません。

このウォーキング(あるいは散歩)を通していろいろな発見がありましたが、中でも興味深いのは、歩いている間に子供の頃のことを思い出したということです。

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街の中には花が多い

住宅街とはいえども、街中には思った以上に花が多いものです。小学校のさくら、庭先のつつじ、軒下のチューリップなど、見渡してみればいくらでも花が咲いています。それを見て思い出したのは実家と、母の実家の庭の風景でした。

私の実家には祖父の趣味による枯山水の庭がありました。春には椿や梅が、初夏にはつつじやあやめが咲き、秋には楓が色づき、冬には雪囲いの上にしんしんと雪が降り積む祖父の美意識の結晶である庭を、何のありがたみもわかっていなかった幼い私は無邪気におままごとの場にしていました。
そういえば、軒下にも祖父がせっせと手入れをした松や梅の盆栽、それから菊や万年青の鉢が置いてありましたっけ。小さな箱庭のようなものに惹かれるのはそれらを見て育ったからかもしれません。

母の実家の庭はというと、かわいらしいものが好きだった祖母の趣味のあらわれらしく、四季折々の花のプランターや鉢植えがひしめいていました。その間を抜けて裏の門を出ると、当時でも生活用水として使われていた冷たく流れの急な用水路がありました。

朝の日差しとお線香のにおい

私が歩いている道沿いに立派な建物のお寺があり、毎朝必ずお線香のにおいが漂っています。調べてみるとどうやら由緒ある名刹のようです。そのにおいを嗅ぎながら、小学校に上がるまで、朝お仏壇の前に座ることがしばしばあったことを思い出しました。

私の生家は浄土真宗の信徒です。毎月の曾祖父母の命日にはお経を上げにお坊さんが訪ねていらっしゃいました。その時間がちょうど、私が朝保育園に向かう前の時間帯だったのです。障子戸を開け放った朝の日差しが差し込む仏間の畳の上に正座をして、お坊さんと祖父母の背中を見ながら滔々と流れる正信偈をありがたみも意味も分からずぼんやりと聴く間嗅いでいたお線香のにおいは、この年になっても好ましく感じられます。

 

どれも、私がまだ小さな子供だったころの思い出です。

それでは、また。

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