読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

東京ってなんて可能性に溢れているんだろう

北陸の農村地域で生まれ育ったゆのきです。

先日、池袋から渋谷まで移動するのに湘南新宿ラインを利用しました。吊革に掴まって、ぼーっと窓の外を眺めながら、あることに気づきました。

多種多様な大学、短大、専門学校

電車の中からは多種多様な大学や短大、専門学校の看板が見えました。「東京にはこんなにも沢山の学びの場があるのか」と純粋に驚きました。同時に、「東京に住む子供たちには、こんなにも沢山の高校卒業後の進路が提示されているのか」と羨ましく思いました。

多種多様な業種、勤務スタイル

同じような例として、先日まで勤めていた職場を思い出します。

先日まで勤めていた職場には、正社員のほか、私のような「他社からの出向者」のほか、「派遣社員」「業務委託による契約社員」「アルバイト」など、ひとつの職場にさまざまな勤務スタイルの人たちがいました。またその会社の業務内容そのものも、私が生まれ育った場所には(おそらく)ないものでした。

そうでなくても、東京には様々な会社やお店があります。その活気を見ていると、「就職難」なんていうものは嘘なんじゃないかと思ってしまいます。

可能性が提示されているのが羨ましい

 私には「学歴コンプレックス」とも、「都会コンプレックス」ともつかないコンプレックスがあります。

私は子供の頃から「将来は普通科高校を卒業して、四年制大学へ行って、どこかの企業に正社員として就職する」というビジョンしか持っていませんでした。私の人生の選択肢の中に、短大や専門学校、契約社員やアルバイトというものは存在していなかったのです。

それらの可能性が提示される機会は、大学に入って「工業高校」を卒業し、「フリーター」として生計を立てているアルバイト先の友人に出会うまでなかったことを思うと、私の手元にあったカードはなんて少なかったのだろうと悔しくなってしまうのです。

「学校生活とお金の関係」について考えたこと - すみっこの記
小学生の頃から私は「中学校を出たら、高校に行って、大学に進学するものだ」と思い込んでいました。これについては両親による刷り込みが大きい気がします。 ...

可能性の地域格差はまだまだ消えない

かつて、インターネットの一般化によって、社会はフラット化するといわれていました。僅か数年前のことです。大学時代の私はそれを信じていましたが、東京に出てきて改めて「可能性の地域格差はまだまだ埋まらない」と確信しました。

「存在するか、存在しないか」「行ける距離か、行けない距離か」という格差は未だ堅固に地方と都市を隔てています。地方に住む子供たちは、たとえば早くから「デザイナーになりたい」「音楽家になりたい」という意識を持ち、自分から可能性を探さなければ、可能性の尻尾すら見つけられないのです。

そうして可能性の尻尾を掴んだ子供たちはどうするのでしょう?そう、東京や大阪などの大都市に出て行ってしまうのです。

 

「社会のフラット化」に失望した今でも、すべての子供たちに多くの可能性が提示される未来が来ることを願ってやみません。

それでは、また。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

track feed すみっこの記