【休職日記】Vol.3 実家に帰りました
「本が読めない」というわけの分からない症状に悩んでいるゆのきです。歯科と心療内科の通院の合間をぬって、富山県にある実家に帰ってきました。
家族の反応
実家に帰るには新幹線と特急を乗り継いで、さらに駅まで誰かに車で迎えに来てもらわなければなりません。東京駅から新幹線に乗るときは、グランスタのブルディガラエクスプレスというパン屋さんで「東京ステーションサンド」を買うのがマイルールです。
東京駅で買ったロールケーキをお土産に帰ってきた私に対する家族の反応は「太ってると思ってたのに痩せてる」でした。飲んでいる薬は常に伝えているので、副作用で太っているものだとばかり思われていたそうです。残念だったな、BMIは17前後だ!
母は私がご飯をちゃんと食べられることに安心していたようでした(食べられないのではなく食べる気が起こらないから料理ができないのです)。
とある長女(帰省中)のせいかつ
実 家に帰っても別に症状がいきなりよくなるわけもないので、多少の家事(皿洗いとか)をしつつ横になったり、ブログを書いたりして過ごしています。本の文章 が読めない(この感覚をどう伝えたらいいのか分からない)ので漫画を買いに行きたいのですが、本屋が遠いんですよね……。丸3年乗ってない軽トラック (オートマ)に乗るのは怖すぎるし。
夕食では毎日ワインが開いたり地ビールが開いたり地酒が開いたりしています。なんだこの家は。そしてご飯を食べながら「リンパ液の組成」だの「中和滴定」だのの話をしています。なんだこの家は。私のわかる言葉で喋ってくれ。
いつでも「リンパ液の組成」をググれるようにiPadが食卓の上に置いてあります。なんだこの家は。
実家で感じた「変化」
雨 が止んだ隙に実家の周りを歩いてみたのですが、祖父が健在だった頃にこだわって手入れされていた庭が、随分と荒れてしまった印象でした。昔は祖父の手入れ を手伝っていたので分かるのですが、枯山水の庭は広い上に複雑で、とても両親が片手間に手入れできるような規模ではないんですよね。
また、祖父が野菜を育てていた畑は数年前の区画整備によって大半が道路となり、主を失った畑では母が花やハーブを育てているようでした。ちょうどラベンダーが満開でした。
台所や居間も物の配置が変わっていたり、物が増えたり減ったりして、自分の実家なのに他所の家に来ているような、不思議な気分になりました。
帰省してみて感じたこと
私は高校時代部活に入り、塾に通っていたので、家にはほとんど寝に帰るだけの生活をしていました。また、大学時代は家にいませんでしたし、今も東京で一人暮らしをしています。
私が家庭を離れている間にこの家では様々な苦難と、それを乗り越えるための変化がありました。そのいずれにも私は立ち会っておらず、家族と苦難を分かち合うことができませんでした。致し方ないことですが、家族との間に少し距離ができてしまったようです。
母 は休職期間中何度でも帰ってくるように言ってくれましたが、上述のとおり、実家は楽ではあっても気楽な場所ではなくなっていました。何より、車に乗れなけ ればどこへも行けない家に閉じこもっていると、東京の自分の部屋以上に気が滅入ってしまうような気がするので、次に帰るのは7月中旬の友人の結婚式のとき になりそうです。
次回の通院の後に、続きを書こうと思います。
それでは、また。