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続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

家族の絆を深めるもの。サマー法事

祖父の一周忌のため、再び富山の地に降り立ち暑さに悪態をつきまくって帰ってきたゆのきです。富山というのは本当に残念な土地です。私の滞在中は連日東京以上の猛暑で、避暑どころの話ではありませんでした。

祖父の葬儀と「サマーウォーズ

ところで、「サマーウォーズ」というアニメ映画をご存じでしょうか。先日「金曜ロードSHOW」で放映されていたものをご覧になった方もいらっしゃるかと思います。私はこの映画を同僚(つまり全員プログラマーかテストエンジニア)と一緒に池袋の映画館で見ましたが、ハンドタオルを涙でぐしょぐしょにしていた記憶があります。

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実家に帰り、法事のために母が準備を整えていたらしい座敷の様子を見ながら、私は昨年の祖父の葬儀と、この「サマーウォーズ」を思い出していました。

夏と実家と祖父の死

私の実家は「サマーウォーズ」の陣之内家とは違い、名家でも何でもないただの米農家です。しかし祖父が独学で建築を勉強して建てたという和風建築の家には、廊下に畳を敷くことで四十二畳の大座敷と化す八畳・十畳・十畳・八畳の座敷があります。襖を全て開け放てば、ちょうど陣之内家のあの大座敷を思わせる光景が見られます。

実家には枯山水の庭があります。これもまた祖父が独学で造園を学んで造成したもので、祖父が健在だった頃には常に完璧に手入れされ、春には梅と沈丁花が、夏にはつつじや芍薬やあやめが、秋には金木犀が、冬には山茶花と寒椿が、砂利と飛び石と松の木の庭に彩りを添えていました。

祖父が入退院の末亡くなった後、座敷に飾られた骨董品や庭は、手入れをする人間を失って埃をかぶり、雑草が生い茂るようになってしまいました。幼い頃、庭を遊び場にして育った私にとっては、庭の死こそが最も祖父の死を実感させるものでした。

祖父という人

サマーウォーズ」の舞台となる信州上田の名家、陣之内家には90歳になる大お婆ちゃんがいます。陣之内一族内の揉め事は、必大お婆ちゃんの意見によって決まるという一家の王のような存在です。我が家の祖父もまた、大お婆ちゃんほど崇められてはいませんでしたが、我が家の王のような存在でした。

祖父は孫の目から見ても知識欲と好奇心に溢れた教養人でした。骨董品の収集家であり、独学で身につけた建築学と造園技術で家と庭を造り、書と絵とを嗜んでいました。残念ながら絵心を盗むまでには至りませんでしたが、祖父は私の絵の師匠でもあります。

 対外的には社交的で面倒見もよく、教養もあるため親類内や集落内では長老役として慕われていたようです。彼の楽しみは家に人を呼んで茶を飲みながら甘い物を食べ、煙草を吸いながら語らうことでした。長女、長男である私の伯母と父にもかなり甘かったそうです。

一方家庭内では、偏屈で口うるさい存在として孫たちから敬遠される立場でもありました。友達と遊びに行きたいのに庭仕事や畑仕事の手伝いを頼んでくる、面倒な存在だという認識さえあったかもしれません。

性格は几帳面で、友人・知人の連絡先や金の貸借、保険関係の情報は全て目録として残されており、葬儀の後も困らなかったそうです。未だ見つかってはいませんが、遺品の中には数ある骨董コレクションの目録も用意されているのかもしれません。

陣之内家の遺品整理風景を見たとき、毎年きちんと整理されていた祖父宛の年賀状の束を思い出しました。

都会に染まった人間に容赦なく襲いくる田舎の空気

田舎の冠婚葬祭は、都会に出ていって田舎成分が少し抜けた人間をも、容赦なく田舎の空気の中に巻き込もうとします。納棺や法要は家でやりましたから、あの家に県内外からどっと人が押し寄せました。

台所では母や伯母たちが忙しく動き回っています。大量のお茶、大量のグラス、大量のお菓子。葬儀のときなどはこれに近所の奥様方も加わって、長年家を離れて台所の勝手などすっかり忘れてしまった長女は大変に肩身の狭い思いをしました。

飛び交う方言は県内でもとくに語感がキツいとされるもので、県外帰り如何に関わらず若者にとっては聞き取りにくいことこの上ありません。そして、相手は私のことを知っているのに私は相手を知らないような、遠い親戚や近所の人が名乗りもなくずけずけと話しかけてきます。長い間親戚付き合いからも近所付き合いからも遠いところに身を置いていた長女は目を白黒させるばかりです。

極めつけは次々と押し寄せる縁談や詮索です。東京で暮らしていると20代後半での未婚は全く気になりませんが、田舎、特にお年寄りには「早く結婚して家庭に入らないと」という意識が今でも根強く残っています。

「いっつも行っとるお店の子が本っ当にいい子なが。うちの子のお嫁さんになってくれんかと思って」

そんな言葉が聞こえてきたらすぐさま逃げの姿勢を取らなくてはいけません。

「姉ちゃんもう孫までおるがやもんね」

「そうやぜ、うちの子のが年上ながいに」

「そういえば、ゆのきちゃんお付き合いしとる人はおるがんけ?」

……逃げられませんでした。相手の職業は?年収は?学歴は?ご両親の職業は?お家柄は?と遠慮も何もなく質問責めにされ、後ずさりをしたくなるも後ろは壁。最終的には、

「妹ちゃんだって指輪しとんがやぜ!」

「??!(妹の声にならない声)」

「あっらそうながけ?どっちの手?どの指?」

と、矛先を妹に向けさせることで窮地を脱出しました。

縁談話だけでなく、収入の話も嫌なものです。数十人もの人が集まると、中には金銭的なステイタスにこだわる人もいます。そういう人たち戦うのは、シンプルに暮らしたいオタクである私には大変に骨が折れることです。

改めて「サマーウォーズ」を見た

法事が終わり、片づけも一通り済ませ、夕食を食べる段になり、家族5人で「サマーウォーズ」を見ました。

テレビでは途中からしか見ていなかった母は「へぇー、こういうことだったんだねー」、大事なシーンがいくつもカットされたテレビ版しか知らなかった妹は「こんなシーンあったの?!」と言いながら冷しゃぶをつつき、○代目当主(?)にあたり法事で年寄り組から絡まれまくっていた弟は「ああ……」と既視感に呻き、父は「ああ、爺さんの遺影もこんなんやった」と言いながらワインを空けていました。

そうしてふと、こんな風に5人で食卓を囲むのが実に久しぶりであったことを思い出したのです。

「幽霊は生きる私たちの心の中にいる」

お坊さんの講話の中で、とても興味深い言葉があったので最後に紹介させていただきます。

「幽霊」と聞くと、歴史の教科書なんかに載っていた、前にだらりと垂らした両手、ざんばら髪を後ろに靡かせ、足のない姿で佇む幽霊の姿を描いた日本画を思い浮かべる人は多いと思います。

このだらりと垂らした両手は未来の不透明さを、靡く髪は「後ろ髪を引かれている」、すなわち生きてきた人生への後悔を、足のない姿は「身の置きどころがない」、つまり現在の不安を表している、と解釈できるそうです。この幽霊は、きっと現代を生きる私たちの心の中にも存在しています。

未来の不透明さに負けないようにしっかりとしたミッションを打ち立て、一度きりの人生を後悔しないように全力で夢を叶え、現在の不安に押しつぶされないようにタスク管理や健康管理によってよりよい生活を目指したいと感じました。

自分の中の幽霊と戦うことは大事ですが、家族を幽霊にしてしまわないことも大事です。今回見直した家族のつながりを忘れないようにしようと思って富山を後にしました。

それでは、また。

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