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続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

ドラクエと共に生きてきた私がドラゴンクエスト10で遊んでみた

「すみっこの記」廃墟

「今のあなたを作り出すのに不可欠な要素はなんですか?」と問われたら、「ドラゴンクエストシリーズです」と迷いなく答えるゆのきです。最近ようやく長時間起き上がっていることが可能になったので、ドラゴンクエスト10を買いました。

今回は私とドラゴンクエストシリーズの付き合いと、私の感じる「ドラクエらしさ」というもの、そして「ドラクエ10が如何にドラクエらしいか」ということについてお話ししたいと思います。

私の人生には常にドラゴンクエストがあった

私とドラゴンクエストの付き合いは、私が母のお腹の中にいた頃から始まります。当時私を身ごもっていた母親は、私の従兄たちに薦められて「ドラゴンクエスト」をプレイしていたそうです。つまり、私は「ロトのテーマ」を聴きながら母の胎内で育ったわけです。

その後、ある程度成長した私が始めてプレイしたRPGは「ドラゴンクエスト5」でした。当時はまさか、学校の教室で繰り広げられていた「ビアンカ派」と「フローラ派」の論争が、大人になって飲み会の最中にまで始まるとは思ってもみませんでした。

人生で初めてクリアしたRPGは「ドラゴンクエスト6」でした。「幻の大地」の真実を知ったとき、また、エンディングを見たときには衝撃に身体が震え、涙が溢れました。このゲームは人生で一番エンディングを見たゲームとなりました。「幻の大地」の世界観は今でも私の空想に大きな影響を及ぼしています。

我が家は全員がドラゴンクエストシリーズのファンでした。5人家族が3つの冒険の書を奪い合う醜い争いをしょっちゅう繰り広げ、誰かの冒険の書が消えると嬉々として自分の冒険を始めるのが常でした。

いつも、「ゲームは9時まで!」と言って私を含めた子どもたちを寝かしつける母親が、誰よりも早くエンディングに到達していたことを思い出します。特に「ドラゴンクエスト7」は彼女だけがエンディングを見、その後のシナリオも全てクリアしていました。彼女がプレイしながら寝落ちするせいで、寿命を迎えつつあった家のテレビが壊れたという事件もありました。

高校卒業後、大学入学までの時間を私は全て「ドラゴンクエスト8」に費やしました。自動車学校に行くでもなく、旅行に行くでもなく、ゲームの中でキラーパンサーを駆り、空と海と大地を余すことなく歩き回っていました。

就職後に始めた「ドラゴンクエスト9」は友人たちや弟妹の協力によってエンディングに辿りつくことができました。国際展示場に向かうりんかい線の中ですれちがい通信の電波が飛び交っていたことを思い出します。

「ドラクエらしい」とは何だろう?

ドラゴンクエスト○周年」というのを聞く度に「ああ、私もう○歳なんだ」と思う私ですが、今回「ドラゴンクエスト10」のオンライン化に際し、自分にとって「ドラクエらしい」とはどういうことかを考えてみました。

主人公に感情移入しやすい

ドラゴンクエストシリーズの主人公はどんなに作数を重ねても基本的には喋りません。国民的RPGとして対をなすファイナルファンタジーシリーズとの大きな違いはそこでしょう。

もしドラクエ3にキャラメイクシステムがなければ、あの作品に対するプレイヤーの数だけある思い出が生まれたでしょうか。もしドラクエ5の主人公に意思があったとしたら、大人になってまで「ビアンカ対フローラ(対デボラ)」論争が盛り上がったでしょうか。

コミュニティ内での情報共有が生まれる

「誰もが遊んでいるゲーム」はコミュニティ内での情報共有を生み出します。家庭で、教室で、職場で、「どこまで進んだ?」という会話が生まれ、情報交換や競い合いを起こすのです。ドラゴンクエストシリーズは、どれもそういった連帯感を生み出しやすい作品に仕上がっています。

決して甘くないストーリー

ドラゴンクエストシリーズのストーリーは、決して子供だましではありません。

ドラゴンクエストの主人公はたった一人で広大な大地を歩まなければなりませんでした。ドラゴンクエスト2の主人公は王子として、仲間2人の命を守りながら戦わなければなりませんでした。ドラゴンクエスト3の主人公は勇者の息子として、旅立ちを運命付けられて育てられました。

ドラゴンクエスト4も、5も、6も、主人公たちには過酷な運命が待ち受けていました。

ドラゴンクエスト7も、8も、9も、目を覆いたくなるような悲劇が主人公たちの目の前で繰り広げられました。

その決して子供だましではない、ただのハッピーエンドでは済まないストーリーが子どもだけでなく大人の心をも掴んで離さないのです。

ドラクエ10はどこまでも「ドラゴンクエスト」だ

私がドラゴンクエスト10の明確な情報を知ったのは、2011年に六本木で開催された「ドラゴンクエスト展」の中でした。ドラゴンクエスト展の中で1から9までの冒険を振り返ったあと、最後のブースで大きなモニターに映し出されたドラゴンクエスト10のプロモーション映像を見たとき、私は泣いてしまいました。

そして実際にプレイしている今日も、ストーリーに身を震わせています。先ほど述べた「ドラクエらしいということ」に照らし合わせてみましょう。

主人公に感情移入しやすいこと。ドラゴンクエスト10にはキャラクターメイキングシステムがあり、チャット機能も存在しています。まさに主人公は「自分自身」となったのです。私の代わりにアストルティアの大地を駆け巡るのは彼です。格好いいでしょう?

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コミュニティ内での情報共有が生まれる。フレンドシステムによってコミュニティ内での協力はいっそう重要なものになり、「助け合うこと」こそがゲームクリアへの最短ルートとなりました。ドラゴンクエスト8が出たときに誰もが思ったことでしょう、「このクオリティでドラゴンクエスト3が作れたら」と。ドラゴンクエスト10はかなりそれに近いものがあります。

決して甘くないストーリー。これはもう、遊んでみて下さい。主人公の名前を自分に、きょうだいの名前を自分の大事な人の名前にしてゲームを始めて下さい。そうすればあなたも程なく目を潤ませながらコントローラーを握り締めることになるでしょう。

当初心配されていた「オンラインゲームだからこそ」の問題も十分考慮されています。行動の自由度は高いですが、ストーリーを見失うことはありません。

文句をつけるとすれば、地名が多く覚えにくいところでしょうか。これはむしろドラクエ9から始まっていた傾向かもしれません。

 

言いたいことをまとめますと、

  • ドラクエ10はどこまでもドラクエだ
  • 心配しないでドラクエファンは是非遊んでほしい

ということに尽きます。

私は今オーガの僧侶として修行を積んでいます。是非、アストルティアでお会いしましょう。

それでは、また。

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