続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

田舎者は生れ落ちた場所に収まる欲望しか抱いてはいけないのだろうか

新卒で今勤めている会社に採用される際、別の都内の企業の内定を貰った状態で「東京勤務でなければ入社したくありません」と社長に言ったゆのきです。思い返せば何たる贅沢、何たる身の程を弁えない言動。しかし大学4年生の春の私はそれだけ「田舎から脱出すること」を強く望んでいたのです。

「富山で感じた3つの『ない』」へのリアクションに対する違和感

先日、私は富山への帰省で感じたことを次の記事にまとめました。

富山出身東京在住者が富山で感じた3つの「ない」 - すみっこの記
いかがでしょう。これらの「ない」こそが田舎と地方を隔てる山脈の正体です。言い過ぎかもしれませんが、これらの「ない」のために、田舎に住む人間は自分から行動するか、さもなくば日常に埋もれるだけの人生を送る ...

この記事に対して、Twitterでいくつかリアクションをいただきましたが、その中には以下のようなものもありました。

そして@さんの呟きから、次の記事を書きました。

富山出身東京在住者が富山で感じた3つの「ある」 - すみっこの記
いかがでしょうか、これが私が必死に考えた「東京にない、富山のいいところ」です。「東京にない、富山の悪いところ」をあげつらうなら3つどころか10も20も思い浮かびそうなものですが、こうして改めて考えてみ ...

この記事に対してもTwitterでいくつかリアクションをいただきました。その中で、こちらの感想を読んだとき、「面白い」と言っていただけるのは嬉しく思いつつも、何とも歯切れの悪い違和感を覚えました。

一体この違和感の正体とは何なのでしょう。うんうん唸って考えた末、@さんの以下の記事を読んでようやくその正体を理解することができました。

富山のモレスキナー時々ライフハッカーが欲しいもの。 - minny67's posterous
お会いした折には、モレスキンライフハック、富山のことをじっくりお話しすることができました。 まっすぐに僕の目を見て、時折メモを取りながら、丁寧にお話しをしてくださった@yunokixxxさん。 富山 ...

@yunokixxxさんの仰る「富山に無いもの」への憂い。それは、富山在住者とって、生来セットされた足枷に感じることさえあります。
そして、富山の内外でこういう話題を切り出すと、リアクションは大体こうなります。
・他に「あるもの」を見逃してるんじゃない?
・「ない」なら、作ればいいんじゃない?
・田舎にいるなら「シンプルな生活」をすべき。考え方を変えなきゃ。

引用元:富山のモレスキナー時々ライフハッカーが欲しいもの。 - minny67's posterous

ここで@さんが仰る「リアクション」はまさに私の書いた記事に対するリアクションそのものです。

これらは全て的を得たリアクションです。ある意味、正解すぎるほど正解なのでしょう。
でもたったひとつ、針の穴ほどのポイントを突くならば、「欲求の矛先を変える」考え方にも取れるということです。
視点とアプローチを変えて取り組むことは意義深い。ただ、決して無資源ではないことを示しながらも、己が欲求の矛先を少しずつ変える要素も孕んでいると思うのです。

引用元:富山のモレスキナー時々ライフハッカーが欲しいもの。 - minny67's posterous

この部分を読んで私ははっと、自分が感じていた違和感の正体に気づきました。私が感じていた違和感とは、次のようなものだったのです。

  • どんなにいいところを挙げようが悪いものは悪い
  • 個人の努力では変えられないものがある

本当の目的をあなたは諦められるか?

私が挙げた「富山にない3つのもの」とは「物」「機会」「理解」でした。

人と交流する機会や、他人からの理解は確かに時間をかけて、努力を積み重ねれば得ることができるかもしれません。しかし、「物がない」ことと、それが「機会」の損失や「理解」の欠如に及ぼす影響はあまりにも大きすぎるように思います。そして、「物がない」ことは個人ひとりの力では変えようのないことです。

日常に埋もれる生き方も勿論結構です。本人がそれで満足しているのであれば。しかし、尖った衝動を、マグマの如き情熱を心に抱いた人間は、決して満足できないことでしょう。

引用元:富山出身東京在住者が富山で感じた3つの「ない」 - すみっこの記

私が「3つの『ない』」を挙げることで訴えたかったのは、上のようなことでした。田舎に住んでいると、物が、機会が、理解がないために、自分の本当の目的を諦めざるを得なくなることが多いのです。

具体例を挙げますと、富山に住む知人が今実際「ほぼ日手帳カズンを使いたいけれど、富山では売っていない。手にとって選びたいのに」と嘆いています。調べてみたところ、彼がほぼ日カズンを手にとって選びたければ、新潟か福井のLoftまで出向かなければならないのです。

富山に住める人の条件

こうして富山の「ない」「ある」を書き比べてみて感じた「富山に住める人の条件」とは、以下のようなものでした。

貯蓄率は高く、「越中の一つ残し」と言われるほどである。自分の家を持って一人前という風潮があり持ち家率は全国最高である[4]。さらに家の大きさ(延べ床面積)も全国一大きい[5]。
子弟の教育にも熱心な傾向があり全国学力調査など教育関係の統計で、上位に位置することが多い[6]。
大家族傾向がある[7]ため、世帯収入が全国最高水準である[8]。逆に生活保護家庭の割合は極端に低く、全国最低である[9]。
乳幼児を祖父母等に預けることが比較的容易なこともあって共働き率が全国最高水準である[10]。石川の「嫁は越中から貰え」という格言は、富山の女性は働き者とされるところからきている。
この勤倹克己を地で行くような県民性は、安田善次郎のような経済的成功者を多く生み出してきた。

引用元:富山県 - Wikipedia

富山県民の県民性というと、大方上のようなことが言われがちだと思います。これは逆に言うと、「平凡な日常を愛し節制と蓄財に努めハレの日にここぞとばかりに爆発的な行動力を発揮してお金を使う人間」だけが富山に残り、そうでない人間は富山の外へと出て行ってしまっているということなのではないか、と感じました。

 

ここでタイトルのような思いが浮かんできます。田舎者は生れ落ちた場所に収まる欲望しか抱いてはいけないのだろうか。田舎で生き続けようと思うのならば、衝動を削ぎ情熱を抑えて生きるしかないのだろうか。

そんなこと、あるわけない!そう否定したいのですが、富山を逃げ出して東京で暮らしている私には、否定する方法が分からないのです。

それでは、また。

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