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続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

「若者は選挙へ行け」という言葉の無力さ

未だに自分が有権者である、という認識が薄いゆのきです。そんな私の手元にも「東京都知事選挙のお知らせ」が郵送されてきました。今月16日にも衆議院選挙が迫っています。

若者が選挙に行けば日本はよくなるのか

ひとつの国にも匹敵する人口を抱え、日本国全体にも影響を及ぼしうる東京都の政治を束ねる人間を選び出す都知事選。また、日本国の政治的代表者(精神的代表者は天皇陛下であるべきだと私は思っています)である内閣総理大臣を選出するのに等しい衆議院選挙。どちらも重要な選挙です。(というか、重要でない選挙などこの世に存在しないはずです。)

そんな選挙を目前にして、「若者は選挙へ行け」という言葉が飛び交っています。都も国も、若者を政治に参加させようと躍起になっている。また、政治に関心が高い識者たちは若者のあずかり知らぬところで若者たちの未来が潰されていくのを憂えている。

しかし、本当に若者が選挙に行きさえすれば政治は変わるのでしょうか?

選挙とインターネット、政治関心についての世代間ギャップについては、下の記事が私が常々感じていることを代弁してくれています。

選挙について思うこと - デマこいてんじゃねえ!
政治は老人的な趣味である。
そしてインターネットは、老人のものではない。...

ここで私が憂慮するのは「投票に行く人たち」の質だ。

冒頭の問いかけに戻ろう:もしも有権者の大多数がテレビも新聞も読んでいないとしたら、どうだろう。世の中の仔細を知らないまま、周囲に流されて投票している――。そう感じずにはいられないはずだ。そして現在、インターネットは重要な情報源だ。ネット利用者の幅広さを見れば、それがもはやオタクのための通信手段ではなく、人々の生活基盤であることは明らかだ。インターネットは、新聞やテレビと同じようなメディアへと成熟した。

しかし、選挙に行く人の多くは、インターネットを使わない老人たちだ。世の中の仔細を知らないまま、周囲に流されて投票している――。私がそう感じてしまうのも無理ないことだろう。

引用元:選挙について思うこと - デマこいてんじゃねえ!

ここで私はふたつの政治的事件――それらは私にとって確かに「事件」でした――を思い出します。

ひとつは2010年2月の「非実在青少年問題」。もうひとつは2011年4月の「東京都知事選挙」。

非実在青少年問題」

2010年2月、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案が提出され、オタク率100%だった当時の私のTwitterのタイムラインは、この改正案の問題点を論じるツイートやリツイートで半分が埋まっていました。

2月末に改正案の全文が明らかになると、各方面で改正案に反対する動きが広がった。インターネット上で手紙を出すように呼びかけられ、都議会総務委員会に所属のある民主党議員によれば、数日で封書や葉書が約50通、電子メールが100通以上来たという。(匿名性の高いフリーメールで大量に送りつけられ、ブログ上で嘆く議員もいた)また、総務委員会に所属していない議員にも数十センチの封書の束が届いたという。議会局には、16日からメールが急増し、1日2,000通以上が押し寄せた。2月に約60件、3月に15日までに約300件の意見が届いていたが、3月15日に漫画家らが記者会見を行なったことが報道されてから急増した。

引用元:東京都青少年の健全な育成に関する条例 - Wikipedia

一旦提出されてしまった改正案が適用されないようにするには、都議会で可決させないようにしなければいけませんでした。そこで当時推奨されたのが、「都内在住有権者による都議会議員への実名での嘆願書の提出」でした。

さて、Twitterのタイムライン上に「私が都民だったら嘆願書を送るのに!」「都民の皆さん、お願いします!」という言葉が流れる中、私は残業をしていました。私は残業が嫌いです。必要でない残業は絶対にしません。必要でない残業を絶対にしない私が毎日終電で帰っているという差し迫った状況の中、私はそれでも嘆願書を送ろうと考えていました。

しかし1日中プログラムソースを読み書きして疲れ切った脳では、嘆願書の文面が思いつきません。そこで私はTL上の仲間たちや、私の書く二次創作作品を愛してくれていた人々に助力を請うことにしました。「私は東京都23区内に住む有権者です。非実在青少年問題を憂えていますが、嘆願書の文面を考えるのに協力してくれないでしょうか。」

するとどうでしょう、波が引くように「私が都民だったら」「お願いします」と言っていた人たちが黙ってしまったのです。

……なんだよ、それ。

その時私は感じたのです。

所詮インターネット上に集まる声なんて、当事者でないことをいいことに烏合の衆が吐き出したその場しのぎの言葉だけだ。連中は対岸の火事をケータイのカメラでパシャパシャと撮影しながら、「乗るしかない、このビッグウェーブに」とほざいているだけだ。

2011年都知事選

2011年の都知事選は、八重桜が咲き誇り東日本大震災の余震も活発な4月に行われました。物資不足の混乱は当時も続いており、このタイミングで都知事選を行おうという都政の中の人たちの神経を疑ったものです。実際、私の家の近所の掲示板にポスターを掲示されていない立候補者さえいました。

2011年東京都知事選挙 - Wikipedia
執行日 [編集] 2011年(平成23年)4月10日 当日の投票時間帯:午前7時~午後8時 期日前投票:2011年(平成23年)3月25日~4月9日 ...

Twitterのタイムライン上では地震と都知事選に関する情報が錯綜していました。その時私が目にした意見をまとめるとこうなります。石原慎太郎を再選させるべきではない。そのために若者は選挙へ行け。」

先に述べた「非実在青少年問題」でTwitterの拡散力とやらにかなり冷笑的になっていた私は、選挙の前から石原慎太郎の再選を確信していました。先の意見には大事な要素が抜け落ちています。石原慎太郎を再選させたくなければ、別の人間を都知事に選出しなければいけないのです

さて、当時も私は仕事に振り回されていました。3月末カットオーバーだった案件は震災により延期されましたが、交通網は未だ平時のようでなく、会社からは定時帰社が推奨されていました。津波の映像を繰り返し流すTVを消し、インターネットからのみ情報を集めて都知事選に臨もうとしていましたが、石原慎太郎に投票するな」という意見はあっても「○○に投票しろ」という意見はありませんでした。

私はここにネット言論のダブルスタンダードを実感せずにおれませんでした。

「東京都政は全国に影響を及ぼす。だから石原慎太郎を再選させるべきではない。」
「東京都政は都民の生活を左右するものだ。だから都民が候補者を選ぶべきだ。」

結果は上で挙げたWikipediaの記事通りです。石原慎太郎の支持層は磐石。反・石原層の票は東国原氏と渡邊氏に分散しています。もし明確な対抗馬をネット言論が示していたならば、もしかすると僅差で石原慎太郎の再選は免れていたかもしれません。

……いや、「もし」を論じることなど無意味でしょう。

若者には余裕がない

「若者は選挙へ行け」と言われる「若者」には余裕がありません。「社畜」という言葉が横行しているのがその証拠です。その状況下で「政治」という「老人的趣味」に興じることができるのは「当事者でない対岸の人間」だけです。

ネット言論は確かに成熟したかもしれない。しかし個々人のリテラシーに情報の取捨選択をゆだねるネット言論では既存メディアの情報を鵜呑みにする層の厚さには勝てない

 

「期待をしない人はかつて強く期待していた人だ」という言い回しがあります。私はかつてネット言論に希望を抱いたひとりでした。しかし今では情報収集元以外の力を期待していません。

「若者は選挙へ行け」。今日も力ないこの言葉がTwitterのタイムライン上を滑っていきます。

それでは、また。

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