読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

下請け企業の社会責任と社畜体質

1月最後の土日を使って、熱海へ旅行に行ってきました。宿の予約を取ったのが出発の2日前、「踊り子」の席を取ったのが当日の朝ですから、思いつきにもほどがあります。

梅が咲ききらず、桜の蕾も緩む前の熱海はうら寂しいところでした。しかしそれでも波の音を聞き、大海原に向かって立ち、潮風を浴びるというのは沿岸部出身者には大変心地よい体験でした。

サンビーチに寄せては返す波を見ながら、私は「会社を辞めること」について考えていました。

  1. 今の会社で働いている限り、私のお客様はエンドユーザーではなく発注元の企業担当者である。
  2. 「下請け体質」の会社に成長は見込めない
  3. 「下請け体質」の会社では「社畜体質」が醸造される

下請け企業の社会貢献とは?

私が勤めている会社はいわゆる「下請け企業」です。発注元であるA社から仕事を請け、Webサービスやアプリを作って納品します。A社のプレスリリースには「自社の製品」とうたわれ、弊社を含めた下請け企業の名前が出ることは絶対にありません。

この構造に、A社も弊社も何の疑問も持たない状態が、私にはひどく悲しい。

たとえば、A社からあるWebサービス構築のプランを持ちかけられたとします。しかしそのサービスが以下のようなアイデアの元に企画されたものであればどうでしょう?

  • 先行サービスが既に存在し、パイの取り合いに参加すらできないことが予見される
  • アーリーアダプターの興味にマッチしていない
  • 「A社」というブランドでやる意義がない

SEやプログラマーは「絶対に売れない」「誰得」「これはひどい」と思いながらも、営業担当に言われるまま仕様書を作り、工数を見積もります。営業担当は「受注=自分の成績」ですから、何とかしてその仕事を受注しようと奔走します。

無事受注することができ、仕様を作るフェーズに入ると、SEはプログラマーとA社の間で板ばさみになります。

プログラマーは往々にしてアーリーアダプターであることが多いため、エンドユーザーとしての視点でものを言います。「この仕様はひどい」「自分だったら絶対に使わない」「インフラの無駄だ」。しかし発注者であるA社の意向は絶対なのです。

もしA社のプレスリリースに「製造はB社(弊社)が担当した」と書かれるのであれば、SEは全力でA社に仕様変更を働きかけることでしょう。なぜならこれから作るWebサービスが大コケしたり叩かれたりした場合、火の粉をかぶるのはA社でなく弊社になるからです。

しかし現状としてプレスリリースにそんな記述がなされることはありません。SE「はいはい分かりました何とかします」とA社のビジョンを自社に持ち帰り、プログラマーは文句を言いながらインフラ構築と実装とリリース作業を行うのです。

つまり、弊社のお客様は実際にそのサービスを使用するエンドユーザーではなく、発注元であるA社の担当者になるわけです。

会社ぐるみの下請け体質

上で述べたことを踏まえると、弊社には「社畜体質の会社版」とでもいうような、「下請け体質」が根付いているといえます。下請け体質が組織の芯まで沁みこんだ会社には「新しいアイデア」「改革の意思」というものが生まれません。

技術者たちが内心抱いた「新しいアイデア」は彼らの余暇に無償で製造され、彼ら自身の名義でリリースされます。会社に還元されることは勿論ありません。従業員が抱いた「改革の意思」は開発工程だけでなく、会社組織までもがウォーターフォールモデルとなっている現状を見て心の中にしまわれてしまいます。

この現状を鑑みると、「下請け体質」の会社に「現状維持」はできても、「成長」は見込めないと考えるようになりました。

下請け体質の組織の中で醸造される「社畜体質」

下請け体質の組織の中にいると、どうしても社畜体質が醸造されていくことになります。私はこの「社畜体質」というものが嫌いです。

その会社に心から愛着を抱いているのであればまだいいほうです。しかし何の愛情もなく、それどころか会社に対して憎しみさえ抱きながら社畜に成り下がるのは何とも非生産的です。

 

私が熱海の海を眺めながら「会社を辞めよう」と思った理由の半分は、このような理由でした。

それでは、また。

track feed すみっこの記