続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

これからの働き方を考える前に、「定時」の意義を今一度考えよう

いつも中の人の慧眼に唸っている「脱社畜ブログ」ですが、以下の記事については反論を唱えざるを得ません。

風紀は規則があるから乱れる - 脱社畜ブログ
こんな感じなので、平日の朝に会社に行くのにはとても苦労する。多くの会社には始業時間なるものがあって、これに間に合わない人は「社会人の常識がない」とされる。酷い場合には、始業時間ギリギリに来るだけでも「 ...

この記事の内容を私は以下のように解釈しました。

  • 会議などがない、誰にも迷惑をかけない日であれば遅く出社してもよいのでは?
  • そもそも規則がなければ破られることもない
  • 無意味な規則が増えることで組織が窮屈になる

この論旨について私が異議を唱えることはありません。企業組織の中に無意味としか思えない規則(暗黙のルールもこれに含まれるでしょう)が多く存在しているのは事実です。

とはいえ、「定時」は無意味な規則でしょうか?この記事は「定時」という規則は無意味であるという前提の元に書かれているように思われます。

待ち案件の解消

私が勤めていた職場は9時から11時45分、12時45分から17時45分までが定時と定められていました。「現場の空気がだらしなくなる」として、このご時勢にフレックス制が廃止されたような職場です。しかしフレックス制が廃止された後この職場の業績は向上しました。業務内容がソフトウェア開発、運用、検証といった典型的な下請けIT企業です。

業績の向上は諸処の事情の積み重ねでしょうが、フレックス制の廃止が業績に影響を与えたのは間違いありません。フレックス制を廃止し、全ての従業員が「定時」を守って勤務するようになったため、「定時内であれば確実にメンバーが揃っている」状態が保障されるようになりました。結果として、「この案件はAさん待ち」「Bさん待ち」といった社内での待ち案件が生じなくなったのです。

時間を売る職業

企業は商品を顧客に売ることで利益を得ています。それと同様に、従業員も商品を事業主に売ることで給与を得ています。従業員が売っている商品とは「技術」と「時間」です。従業員は接客術や事務作業、専門技術と共に「時間」を売っているのはどの職業でも同じです。

上で述べた「社内での待ち案件が生じている状態」とは、事業主にとって従業員から余分な「時間」を売りつけられているに等しい。このロスを解消するのに「定時」の導入が有効ならば、その規則化は合理的といえるのではないでしょうか。

100%誰にも迷惑かけていないと言えますか?

私がこの記事に噛み付くのには理由があります。というのも、以下のくだりに以前同じ部署で働いていた先輩を思い出したからです。

一番納得が行かないのは、特に誰にも迷惑をかけない場合であっても、遅刻は悪とされることである。例えば、始業時間が8:30だが、午前中は特に会議などもなくて、基本的にはいてもいなくても、誰にも迷惑がかからなかったとする。そういう場合であれば、ゆっくり出社しても何の問題も無いはずだ。こういう時ですら、遅刻をすると文句を言われる職場は多い。

引用元:風紀は規則があるから乱れる - 脱社畜ブログ

このくだりを見るに、中の人は「会議などがない、いてもいなくてもいい状態」は永続的なものだと考えているようですが、夜に急病人が出ないなら夜間救急窓口は不要です。「定時」が存在するということは、「その時間内に何か起こるかもしれないから定時内は確実に席にいてね」という意思を事業主側が持っているということです。

かつての同僚であった先輩が中の人と同じ意見を持っていたようですが、少なくとも彼の下についていた私は彼が遅刻することによってかなりの「待ち案件」を抱えさせられていました。100%誰にも迷惑をかけていないと、はたして自分自身で判断できるものでしょうか。待ち案件を抱えに抱えた結果、鬱で1年を棒に振ろうとしている私の恨みは決して浅くはありません。Mさん、あなたのことです。

朝が弱いのはそんなにえらいことなのか

どんどん個人的な叩きのようになっていますが、そもそも以下のくだりが気に入りません。

僕は、一貫して夜型である。朝起きるのはとても辛い。特に、冬場はものすごく辛い。大学生の時は、そういった事情で一限の講義に出るのは不可能だった。今でも、午前中はあまり意識がはっきりしない。

こんな感じなので、平日の朝に会社に行くのにはとても苦労する。多くの会社には始業時間なるものがあって、これに間に合わない人は「社会人の常識がない」とされる。酷い場合には、始業時間ギリギリに来るだけでも「社会人の常識がない」などと言われ、これは夜型人間にとっては地獄である。

引用元:風紀は規則があるから乱れる - 脱社畜ブログ

こうなってはもはや取り繕うことができません。てめぇの都合なんざ知るか。昔から不思議なのですが、夜型の方々は何故「夜型の生活が許されないのは不当である」という主張をしたがるのでしょうか。

私は、一貫して朝型です。夜頭を使う作業をするのはとても辛い。特に、夏場はものすごく辛い。高校受験のときも、大学受験のときも、社会人になってからも、夜早く寝て早朝勉強するという生活を続けてきました。

こんな感じなので、長時間の残業を他人の尻拭いや社内の待ち案件で強いられるのには閉口します。そもそも「勤務時間」というのはきっちり働いている時間のことだと思うのですが、そう考えるとPCの起動時間くらいの猶予くらいもって席に着くのは当然です。そういう契約で報酬をもらっているのです。勤務時間を無駄にするなら契約不履行です。約束を破ったらダメだってお母さんは教えてくれなかったのですか?

「定時」のメリット

私はそもそも「定時」というものにメリットを感じています。というのは、事業者側が「定時」を守るのであれば、従業員は「定時」以外の時間は確実な自由を保証されるからです。勤務時間外にメールをチェックする必要がない、仕事のことを考える必要がない。その保証がなされるのであれば「定時」というシステムは我々従業員にとって有意義です。

むしろ「定時」を悪とみなすのは、事業主が「定時」を守らないという前提に立っているからだと考えられます。これは「脱社畜」的観点から言って当然かもしれません。

 

「無駄な規則は淘汰されるべきである」ということと、「定時が無駄かどうか」は別々に論じられるべきだと考えます。

また、夜型人間は自分だけでなく、他の人間もそれぞれのリズムで生活していることを改めて自覚すべきです。

それでは、また。

track feed すみっこの記