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続・すみっこの記

富山生まれ下請けIT育ちのフリーライターが布団の中からお送りします

割れ窓理論と街角の正義

おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨は、しかしながら、長閑な観光地としての顔しか持たないわけではありません。駅周辺には歓楽街が広がっており、ホームレスの姿も見られます。昼間から酒を片手に歩く人や、夜道で立小便をする人を見かけることも少なくありません。

巣鴨駅の近くでこんな光景に出くわしました。

割れ窓理論

はじまりは酔っ払いが捨てた大五郎のペットボトルでした。この場所では夜な夜な酔っ払いがたむろしていることが多く、ペットボトルや空き缶などが散乱しているのは日常茶飯事でした。

それについて――おそらく近所のビルのオーナーでしょう――「人の心が欠けていませんか」という貼紙がされるようになりました。

逆の同調圧力

巣鴨地蔵通りでは毎月4日、14日、24日に「四の市」が開催され、露天商が狭い通 りに軒を連ねます。ベビーカステラ、お好み焼き、たこ焼き、大判焼き……様々な食べ物が売り買いされます。折しも5月4日は大型連休の中日。多くの人が地 蔵通りを訪れました。その翌日同じ場所を通ると、ごみがさらにうず高く積み上げられていました。

我々日本人はしばしば「同調圧力に弱い」と言われます。他人がしていることは自分もしなければならない、という強迫観念にかられるというものです。しかしこれは逆のことも言えるのかもしれません。

我々日本人は同調圧力に弱い、すなわち周りに流されて軽い気持ちで悪事を働いてしまう。

何が正しい行動だったのか

私は偶然にも、あるご婦人がそれらのごみをまとめ、貼紙をしているところを見ました。「5月3日に放置されたごみです」「四の市で出たごみです」「ごみは出す日と場所を守って」そう太いマジックで書かれた紙を貼るご婦人の横顔には鬼気迫るものがありました。

しかし、その光景を見ながら「無意味だなあ」とも感じました。そんな貼紙をしたところで酔っ払いたちはごみを捨てることを躊躇わないでしょうし、観光客が戻ってきてごみを片付けてくれるわけではありません。誰かが片付けない限りごみはそこに残り続け、新たなごみを呼ぶでしょう。

ただ、ご婦人には憤る理由もあれば、他人が出したごみを片付ける義理もないのが事実です。

 

観光地と歓楽街の両方の顔を持つ街、巣鴨。民度を高めるというのはなかなかに難しいことなのかもしれません。

それでは、また。

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